いとぴょん安房守の雑感録

歴史・時事など気ままに書いています

2022-01-01から1年間の記事一覧

岩瀬与一太郎は、なぜ頼朝に許されたか?(その1)

治承4年11月7日、上総広常の謀略、奇襲により金砂城は落城、佐竹秀義は花園城に敗走した。頼朝の佐竹討伐戦は一段落した。 翌8日、鎌倉軍は常陸国府に凱旋、佐竹領の収公が決定される。 そして、佐竹の家人十余名が捕えられ、頼朝に尋問された。 頼朝は捕え…

岩瀬与一太郎は、なぜ頼朝に許されたか?(その2)

岩瀬与一太郎の御家人に取り立てた理由とは? 頼朝が東国支配を強化し常陸の支配をするうえで岩瀬に利用価値があると思ったのだろう。彼は出身地が常陸国西部(現在の桜川市岩瀬)と言われ、常陸北部太田から笠間、小山に至るルート上にあり、下野国方面への…

頼朝の佐竹討伐戦は、上総広常の、広常による、広常のための戦い?③

800年前の佐竹氏が存亡をかけて戦った西金砂山(現在の茨城県常陸太田市)に登る。 麓からは車道が現在では通っているが、当時は獣道と呼べる道すらなかっただろう。 西金砂神社の本殿が鎮座している山頂付近へは途中急な石段を登る。 それだけで息が上がる。 …

頼朝の佐竹討伐戦は、上総広常の、広常による、広常のための戦い?②

高速道路常磐道石岡小美玉スマートICのほど近い、大矢橋。 現在では新大矢橋という新しい橋が架かっているが、そのそばに佐竹義政の首塚がある。 説明板には、治承4年11月、上総広常による帰順勧告に応じた佐竹義政は、頼朝との会見に向かったが、この園部川…

頼朝の佐竹討伐戦は、上総広常の、広常による、広常のための戦い?①

治承4年10月、富士川の戦いで頼朝軍は平家・平維盛の軍に大勝した。 「さあ、これより維盛の軍を追って西上、上洛すべし。平家の軍兵恐るるに足らず。平家を倒すべし、我に続け!」頼朝が軍に向け号令をかけた。が、 「お待ちくだされ。それがしはその号令に…

上総広常は、最初から佐殿の味方だった?

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、上総広常(佐藤浩市)が本格始動! 予想通りの曲者っぷり。見事でした。 あの場面で、梶原景時を登場させるあたりは流石!と思いました。 景時、広常、義時そして義盛の四人がすでに一堂に会していた。 最期を意識した演出でし…

天に守られた男

『鎌倉殿の13人』第7回見ました。 房総編はあっという間に終わってしましましたが、平家方の長狭常伴が大河初登場し、安房出身の私にとっては感慨深かったですね。 ただ、常伴は頼朝に夜襲を仕掛けたものの寝取られ漁師とともに、三浦義村によってなんだかよ…

平重盛の墓が意外なところに…

小松寺【茨城県東茨城郡城里町上入野】 平重盛は清盛の嫡男で小松内府と呼ばれ、1177年鹿ヶ谷の陰謀と呼ばれる平家に対するクーデター未遂事件に際し、後白河院を幽閉しようとする清盛を厳しく諫めたと言われています。 彼は、一族の長で父でもある清盛と院…

武田家のルーツ

【甲斐源氏発祥の地・ひたちなか市武田】 八幡太郎義家の弟・新羅三郎義光は、後三年の役後、常陸介に任ぜられ、長子である義業を久慈郡佐竹郷(現常陸太田市)に三男の義清を那賀郡武田郷(現ひたちなか市)に配置した。 義清は武田の地に因み「武田冠者」を名…

真珠湾攻撃から80年① 筑波海軍航空隊記念館企画展より

今年は寅年。トラトラトラの意味とは? 茨城県笠間市にある筑波海軍航空隊記念館では、「真珠湾攻撃から80年~映画から見る戦争の始まり~」展が開催されており、真珠湾攻撃にまつわる資料や真珠湾攻撃を日米合作で描いた、1970年公開の映画『トラ・トラ・ト…

武士の鑑・土屋家の城 ~茨城県土浦市~

土浦城(亀城公園)を訪問しました。 霞ヶ浦に注ぐ桜川河口の低地に築かれ、かつては何重にも巡らせた水堀で防御された平城で、現在では太鼓櫓が現存し東西の櫓が木造復元されています。関東で唯一本丸に現存する櫓門ということです。実に風格があります。 …

オダはオダでも… 茨城県つくば市

皆さんは戦国武将で「オダ」といえば、誰を思い起こすでしょうか? おそらく多くの方は「織田信長」を思い起こすでしょう。しかし、茨城の人間にとってはオダといえば。小田氏治を思い起こすだろうと思います(諸説あります笑) 小田氏は常陸南部に勢力を持っ…

源頼朝 安房で再起を図る2 千葉県鴨川市

治承四年九月三日、平家方で安房国長狭郡を治める長狭常伴が頼朝の宿屋を襲撃しました。しかし、三浦義澄が常伴を一戦場(いっせんば 現千葉県鴨川市)で迎え撃って勝利を収め、これで安房で頼朝の抵抗する勢力はいなくなりました。 この戦いで、地元の漁師・…

源頼朝 安房で再起を図る1 千葉県安房郡鋸南町

治承四年八月、伊豆で挙兵した源頼朝は、二十三日、平家方の大庭景親との石橋山の戦いで敗れ、真鶴岬より海路小舟で脱出、安房国へと向かいました。 なぜ安房を目指したのか? 当時内房沿岸は対岸三浦半島の三浦氏の影響が強く源氏の味方を得られやすかった …