2022-01-05 源頼朝 安房で再起を図る1 千葉県安房郡鋸南町 治承四年八月、伊豆で挙兵した源頼朝は、二十三日、平家方の大庭景親との石橋山の戦いで敗れ、真鶴岬より海路小舟で脱出、安房国へと向かいました。 なぜ安房を目指したのか? 当時内房沿岸は対岸三浦半島の三浦氏の影響が強く源氏の味方を得られやすかった 安房の有力武将・安西景益は頼朝の郎党であった人物で現時点で数少ない頼朝の味方である彼の協力を得たかった 安房は陸の孤島であり平家方の追撃を一時的にでも防ぐ上で都合がよかった と考えられています。 源頼朝上陸の碑 「吾妻鏡」によれば、「二十九日、武衛(頼朝)、(土肥)実平を合具し、扁舟に棹さし安房国平北郡猟島(現千葉県鋸南町竜島)に着かしめ給う。北条殿以下人々これを拝迎す」とあります。 石橋山で負けた場合、安房に向かい再起を図ることはプランBとして頼朝配下に前もってシェアされていたようで、頼朝到着前に北条時政・義時、三浦義澄・泰村ら頼朝配下の御家人は安房に集結。この地で予定通り?頼朝と合流し、再起の準備を図ることになるのです。 頼朝は地元の村人たちに熱烈に歓迎されました。その歓迎っぷりに感激した頼朝は、こう言います。「わしが平家打倒を果たしたなら、おまえたちに安房一国を与えよう。」それを聞いた村人は、安房一国を穀物の粟一石と勘違い。「粟なら畑で取れます。それより私たちに姓をください。」と言いました。頼朝は村人の欲のなさを笑い、「そうか、ばかだなぁ」と言いました。それを村人は姓をくれたものとまた勘違い。「左右加」「馬賀」という姓は、今でもこの辺りに名乗っている家があるそうです。 竜島海岸