源頼朝 安房で再起を図る2 千葉県鴨川市
治承四年九月三日、平家方で安房国長狭郡を治める長狭常伴が頼朝の宿屋を襲撃しました。しかし、三浦義澄が常伴を一戦場(いっせんば 現千葉県鴨川市)で迎え撃って勝利を収め、これで安房で頼朝の抵抗する勢力はいなくなりました。
この戦いで、地元の漁師・仁右衛門が太海浜に浮かぶ小島の洞窟「源頼朝かくれ穴」に頼朝を避難させ救ったという伝説があります。
さて、「安房を統一した」頼朝は、次なる目標は上総、下総。
房総一の兵力を誇っていた上総広常、下総の千葉常胤に和田義盛、安達盛長を使者としてそれぞれ派遣し、味方にならないかを交渉します。ここでも「鎌倉殿の13人」のメンバーが活躍するんですね。
やがて、上総・下総の情勢が好転し、頼朝一行いよいよ安房を出立する日が来ました。おそらく多くの住民が頼朝の門出を見送ったのではないかと思います。頼朝の宿所から上総、下総そして鎌倉に続くであろう街道は、頼朝の戦勝を願う地元の領民によって雑草がきれいに刈り取られ、落ち葉は掃き清められました。
頼朝は清々しい気持ちになり、こう言います。「わしらのめでたい門出のため街道の雑草を刈り掃き清めたのはそなたか?そなたには刈込(かりこみ)の姓を与えよう。」それを聞いた領民は「・・・安房一国じゃないんかーい」と思ったとか思わなかったとか…。因みに刈込の姓は私の母方の姓です。
頼朝ご一行安房での滞在はわずか13日ほどでしたが、再起の一歩を踏み出した記念の土地でした。気候温暖、山海の幸に恵まれ、どこかのほほんとしておもてなしファーストの国・安房はまさに再起・充電に最適の地であったと言えるでしょう。現代でも再起・充電のため、是非とも安房に足を運んでいただければと思います。