いとぴょん安房守の雑感録

歴史・時事など気ままに書いています

平重盛の墓が意外なところに…

小松寺【茨城県東茨城郡城里町上入野】
 平重盛は清盛の嫡男で小松内府と呼ばれ、1177年鹿ヶ谷の陰謀と呼ばれる平家に対するクーデター未遂事件に際し、後白河院を幽閉しようとする清盛を厳しく諫めたと言われています。
彼は、一族の長で父でもある清盛と院という二大権力者との対立の狭間にあって、そのストレスのせいか病に倒れ、平家滅亡前に若くして亡くなってしまいました。
 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で幽閉された院が源頼朝の夢の中に登場し、彼を思い悩ませていますが、清盛が院を実際に幽閉したのは、重盛が亡くなってわずか4か月足らずのことでした。
 もし重盛が生きていれば、院は幽閉されることなく、当然頼朝の許に院宣が届くこともなく、頼朝の夢の中に登場することもなく、頼朝の挙兵もなかったかもしれません。
 重盛の腹心・平貞能は、高野山から重盛の遺骨を保持し重盛夫人得律禅尼を伴い、坂東平氏である常陸大掾義幹を頼って、この地に辿り着き、遺骨を埋葬しました。
寺の裏山を登ると重盛の宝篋印塔が建てられています。

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華やかな平家の一門であった重盛は、坂東の鄙びた山寺で静かに眠っています。