上総広常は、最初から佐殿の味方だった?
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、上総広常(佐藤浩市)が本格始動!
予想通りの曲者っぷり。見事でした。
あの場面で、梶原景時を登場させるあたりは流石!と思いました。
景時、広常、義時そして義盛の四人がすでに一堂に会していた。
最期を意識した演出でしたね、まだ先のことですが…。
それにしても、上総広常の食えない田舎武士っぷり、いや~面倒くさい親父ですね。
小四郎には本音を漏らしていましたが、周囲に誤解を与えがちなタイプです。
タイトルの通り、味方なのかそれとも…と勿体付けた感じでしたが、私はハッキリと言います。
実は、多くの識者が論じているように、広常は頼朝の挙兵に呼応していました。
すなわち、ドラマの最初から頼朝の味方でしたってことです。
広常はドラマの中で言っていました。房総中の情報はなんでも入ってくると…
頼朝が負けて安房に上陸してくることは、当然彼には筒抜けで、殺そうと思えばたどりついた浜辺で頼朝一行を待ち伏せ、殺害する、あるいは捕えて平家方に突き出すことくらいは訳ないことだっただろうし、
安房を出立時の頼朝軍は、寄せ集めの300騎、一方の上総広常は20000騎!という兵力差を考えれば、安房に侵入し長狭常伴と共同で頼朝を討ち取ることも可能だったでしょう。
こうした中、頼朝は上総の動向にはそれほど心配していません。
しかも、頼朝は広常の返事を待たずに、わずか300騎で安房を出立、上総を抜け下総に進軍しています。
もし広常と敵対していたとしたら上総領内の通過はできないでしょうし、まさに敵の中に飛び込んでいくようなもんです。
頼朝のこの見切った行動は、上総広常は敵ではない、味方だと認識していたに他ならないと思われます。
安房に上陸した頼朝は、味方を増やすべく各方面の豪族に使者を派遣しました。
甲斐武田氏には北条時政を、千葉氏には安達盛長を使者として派遣しました。
そして、上総広常には、最も味方に引き入れたい最重要勢力には、なんと、外交能力が一番劣る(と思われる)和田義盛(和田さん申し訳ない…)を派遣するのです。
ドラマでは北条小四郎も伴しておりますが、なんという人選ミス…。
せめて房総の事情に明るい三浦義澄・義村あたりを派遣したかったかもしれませんが…長狭氏ような不穏な勢力からの守りには代えられない。
こうなったら和田義盛、頼む!!なんとか上総広常を説き伏せてきてくれってなるでしょうか?
普通はこういう選択はしませんよね。
もっとも和田義盛が自らこの役を買って出た可能性もありますが…。
しかし、広常が味方するよとわかっていたらどうでしょうか?
その場合の外交はそれほど難しいやりとりの必要もないだろうし、ただ「よろしく!ま待ってるからね」と言うだけで事が済むと思えば、むしろ明るく能天気で暇そうな和田義盛(和田さん申し訳ない…)は適任。そう考えれば、外交使者の不可解な選択に合点がいきそうです。
広常としては、本当は石橋山の合戦に参加したかったのだが、天候の状況か、はたまた上総領内の平家方の動きの阻まれたのか、もちろん大軍の出陣準備の都合によるものか、結局参陣は大いに遅れ、隅田川付近で頼朝軍に合流することになってしまった。
石橋山、真鶴から海を渡って房総へ、さらに鋸山・房総丘陵を超え、東京ベイエリアをグルっと北上し隅田川あたりまでえんえん待たせりゃ、そりゃ、佐殿も単純に怒りますわな。
個性派キャラが揃って、ドラマがますます楽しみになってきた今日この頃です。