那珂湊、大洗を攻めた 水戸藩版お台場
水戸市の北、那珂川を挟んでひたちなか市があります。
また、水戸市の東には大洗町があります。
それぞれ、ひたちなか市は国立ひたちなか海浜公園のネモフィラ、大洗町はガルパン、大洗水族館が有名です。
GWの旅行先としては、これらの観光スポットが定番でしょう。
家族サービスにはもってこい、写真を撮ってアップすれば、ほぼ確実に「いいね」をGETできます。
しかし、小生には、人気観光地は蜜になっているんじゃ?歴スポ攻略に行かなくていいのか?という思いが強く、誰も見向きもしない那珂湊、大洗の歴スポ攻略に魅力を感じ、出撃ました。例によって一人です。
まずは、いひんかく(難しい漢字を書くので写真をご参考ください)に行きました。
いひんかくは、水戸黄門(水戸藩第2代藩主)によって那珂湊を見下ろす高台に築かれた別荘です。
豪華な御殿があったようですが、幕末は天狗党の乱の戦場となり、焼失してしまいました。
実に見事な松の木が何本もありますが、水戸黄門が造園時に明石須磨からクロマツの苗木を持ってきて植えたもので、幕末の兵火を乗り越え、今も健在です。
幹回りは2~3メートルありそうです。
江戸時代、湊(那珂湊)は水戸藩一の港で、那珂川の河口に位置し、川をそのまま遡上すれば水戸城下へ、那珂川の途中で分岐する涸沼川を行けば、涸沼、霞ヶ浦、利根川、江戸川を経由して江戸に至ると言う水上交通路の要衝にありました。
東北諸藩の米の多くは、那珂湊に運び、そこで、河川用の船に積み替えて江戸に運ばれました。
鹿島灘沖、銚子沖を通る航路は危険だったらしいです。
いひんかくから望むと眺めがよく那珂川の様子もよくわかります。
那珂川の向こう岸は大洗の町ですが、天狗党の乱では川を挟んで砲弾が飛び交ったそうです。
大洗水族館の裏手あたりに砲台があったそうですが…。
早速行ってみました、祝町向洲砲台跡。
草ボーボーですね。
写真でもなんとなく、土塁が確認できますでしょうか?
えっ、単なる松林、草むら?
えっと、ここは、徳川斉昭が攘夷のために作った砲台跡ですよ。
水戸藩版お台場。
全然おしゃれじゃないけどね。
那珂川を遡上する異国船を砲撃できる位置にあり、大砲が備え付けられていました。
異国人を打ち払うための施設が、天狗党の乱で同じ水戸藩同士の戦で使われてしまうという悲劇がありました。
さらに南にある磯浜海防陣地跡に行きました。
大洗港近くの高台に築かれ、異国船の見張り、海防要員である水戸藩士の常駐施設なんですね。
遠見番所であっただけに大変見晴らしがよく、大洗マリンタワー、客船さんふらわー号など大洗港が望見できました。
天狗党の乱では、この地に水戸藩の御連枝・宍戸藩藩主の松平頼徳が陣を張ったと言われています。
宍戸藩と松平頼徳については、別の機会に紹介したいと思います。(終わり)