天狗党決起② ~筑波山神社(茨城県つくば市)~
鈴の宮稲荷神社の神前で祈願の後、霊峰・筑波山の麓に尊王攘夷の義旗が翻りました。
早速、各地から、浪士、農民、神官、博徒など天狗党の決起に呼応する様々な者たちが集結し、その数は数百に達したいいます。
なぜ、これほどまでに天狗党の決起に呼応する人々が出てきたのでしょうか?
開国以来、海外との通商が本格化すると、極度なインフレとなり民衆の生活は困窮を極めていきました。
常陸で盛んであった木綿産業は、産業革命で安価に大量生産されるイギリスの綿製品に駆逐され、壊滅的打撃を受け農村は荒廃しきっていたのです。
農民たちにとって、この決起は経済的困窮に起因する世直し一揆として期待されたからであったのです。
大河ドラマや小説では、攘夷運動は単なる過激なナショナリズムの高揚、尊王VS佐幕の政治対立、水戸学のイデオロギー論争としてと描かれますが、民衆の困窮による社会不安が背景にあると思います。
さて、実は、決起の前、「攘夷挙兵は無謀だ、無駄死にだ、自重せよ」と水戸藩激派重鎮・武田耕雲斎によって小四郎は諫められていました。
しかし、小四郎とって農村の惨状は無視できず、事前の遊説、募兵運動の感触から、決起成功の目算を感じていたのでしょう。
小四郎は改めて確信しました。「我々の決起によって、後に続くものが現れる。決起は間違いではなかった!」と。
しかし、この後、いくつかの想定外の誤算が天狗党に襲い掛かるのです…。